毎日ぼちぼちやってます

40代。2015年7月、乳がんが発覚しました。2017年3月 骨転移 皮膚転移(局所再発)2018年1月 肝転移 なっちゃったもんは仕方がないので、これからもぼちぼち ゆるゆるやっていきますよ。

手術直後

みなさんのブログを見ていると…。
大体の方は麻酔はあっという間に眠りに落ちて、ワープしたかのように時間が飛び、次の瞬間「手術終わりましたよ〜」という声がした…という感じ。
ですが私の場合は寝覚めが悪かったのか、モヤモヤと夢も見ていたような感じでした。

「眠くなる薬入れるよ〜」から5分くらい(に感じた)、夢なのか現実なのか分からないような状態で、残念ながら先生の「終わりましたよ〜」を聞いた覚えもなく、うつら〜と最初に目が覚めたのはリカバリー室のベッドの上。
サブ先生の後ろ姿と、看護師さんの「これから1時間くらいリカバリー室で心電図とか診させてくださいね」という言葉と、自分の「はーい」という返事が最初の記憶。

それからまたすーっと寝てしまって、次に目を覚ましたのは、サブ先生が何かを見て「はい。オッケー!」と言う声。
そのままサブ先生と看護師さんとでベッドを病室へ移動。
その途中ずっとサブ先生が他の患者さんの件で看護師さんにいろいろ指示を出してて、「先生、大変そうだなぁ」なんてぼーっと考えてましたw

部屋に着くと看護師さんが両親を呼んできてくれて、私は「ただいま〜」「長かったでしょう〜」とまたヘラヘラw
両親も「おかえり〜」くらいしか言ってなくて、看護師さんに「なんだ?この家族」と思われてないといいけど(笑)

結局父がウロウロ落ち着かなくて(笑)、機材を見ては「これ何だ?」「どうなってるんだ?」ってうるさいし(しまいには一人で散歩に行ってしまったw)、母も帰りの電車が混んでしまっても悪いので、「帰ったほうがいいよ〜」と言って帰ってもらいました
(寝たいし、気を遣うしw)

両脚は加圧ソックスを履いたまま、マッサージ機みたいなのを取り付けられて、ずーっとモミモミ…
これが気持ち良くって、自宅にも欲しいって本気で思った(笑)
下半身はT字帯&尿カテーテル(手術中、私の記憶がないうちにセッティングw)
履いてたパンツは、後から看護婦さんがキレイにラッピングして(青い紙に包んでw)持ってきてくれました。
術側の手にはナースコール、逆側の手には点滴と痛み止めのボタン。このボタンを押すと、点滴に痛み止めの薬が追加されるらしい。
何度押してしまっても、制限量以上は出ないという優れもの。
でも私は訳あって?あまりお世話にはなりませんでした(また後ほど)
口には酸素マスク。これは術後4時間装着。これも気持ちよかったなーw
4時間経って、サブ先生が体調を確認してくれて、OKが出たら外される、それ以降から水分補給OKとなりました
(看護師さんがやさしーく飲ませてくれますw)

ちょうど酸素マスクが取れて、水も飲ませてもらってぼやーんとしていたら、隣のベッドの女性(同じ主治医で、全摘手術)が手術から帰ってきて、家族の方も呼ばれてました。
お姉さんらしき人が「○○ちゃん、よく頑張ったねぇ」「ほんと偉かったねぇ」「もう心配しなくていいからねぇ」「家のことは大丈夫だから、ゆっくり休むんだよ〜」なんて優しく声をかけてて、我が家にはあり得ない光景だなと笑ってしまいましたw

そしてまたスーッと寝てしまって、次に目が覚めたのは主治医先生の声。
「asahaさーん、手術、悪いとこはちゃんと取れたから」と。
あと、隣の方と共通で、
「患者さんは手術のあと、じーっと身動きしない方が多いんですけど、膝を立てたり、背中や腰を動かしたり、手先を動かしたりしていいですよ」
という話もしてました。
素直にその通りちょこちょこ動いていたら、貧血の時みたいにおえーーーって気持ち悪くなってしまって、やるんじゃなかったと後悔(笑)
おまけに先生が「痛み止めの点滴で気持ち悪くなる場合もあります」なんて言うもんだから、痛み止めのボタンを怖くて2回くらいしか押せなかったと言う…。

その後、看護師さんが1時間に一度くらい様子を見にきてくれるたびに目を覚ましたり眠ったり…。
途切れ途切れではありますが、決して不快ではなく、むしろ気持ちよかったです。
翌朝まで仰向けだから、腰痛も心配してたんだけど(普段は腰痛になる)、なぜかそれもまったくありませんでした。

意外とイケるじゃん。
ばっちりじゃん。
なんて思いつつ、朝を迎えたわけですが…。



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手術翌朝、予想だにしなかった困難が…w
続きはまた後ほど。
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